流川婦人のとったホテルは豪奢だった。
毛足の長い絨毯を敷き詰めた床から天井を飾る照明の鈍い金色の装飾まで、全てが本物で完璧だった。
親族との食事会を早々に退席してから訪れたこのホテルで、流川家の三人は軽くお茶を嗜んでから部屋に着き、今は各自のベッドルームに各々腰を落ち着けている。
もちろん、両親は同じベッドルームに消えていったが、流川はそれに乗じて神奈川へ帰ってしまおうという意思をなくしていた。それほどまでに眠かったのである。
シャワーも浴びずにベッドに倒れこんだ流川は、もぞもぞと身を動かしシーツにもぐり込む。上質なそれが流川の頬を優しく撫で、しかしどういうわけか、ちっとも心地良く感じられなかった。

「…む、」

眠るときの常で、ぎゅっと枕を抱き込んでみても収まりが悪く、それどころか何故か目まで冴えてきてしまった。
何度か寝返りを打ったり枕の位置を変えてみたりもしたが、益々眠気が遠のいていくようで流川はついに身体を起こし、確信する。花道がいないのだという事を。
恋人になるまでは殆ど別々に寝ていたし、恋人になってからだって、週に三度は自宅で過ごしていた。けれど、いつだって近くに彼の空気を感じ、包まれて眠ってきた流川にとって、この場所はあまりに無機質で寂しい。
思えば今日は朝家を出てから一度も花道の声を聞いていなかった。それに気付くと流川はいてもたってもいられず、慌ててジャケットのポケットを探り出して舌打ちをした。今日は携帯を忘れてきている。
ホテルの電話を使って花道へ連絡しようと顔を上げてみたが、そういえば彼は赤木の家に行っていたのだと流川は眉を潜め、力なくまたベッドへ沈む他なかった。

「あー…会いてえ…」

たった一日でこんな有り様である。正確にはたった14時間。一日にも満たない時間なのに、この恋しさは何なのだろうと流川は目を瞑った。
花道は今頃勉強中だろうか。何度か目にしたことのあるあの大きくてゴツい部長の下、花道が必死になって机に向かっている姿を想像して苛立ちが込み上げた。
俺が同い年なら…いやせめてもっと頭が良ければ。あり得ないことを望んでしまうのも、ひとえに花道が愛しいからだ。
静かな部屋に、静かな秒針の音が降り積もってゆく。ベッドサイドの時計を確認して流川はふらりと窓に歩み寄った。

「あ、」

思いもよらず声が漏れた。カーテンを引き忘れた窓から覗く暗闇には、白い欠片が音もなく舞っている。それを真っ黒い双眸に映して流川は顔を顰めた。
東京で雪が降るなんて、今夜は一体どのくらいの寒さなのだろう。空調の完璧に行き届いたこのホテルでは、外気を知る術がテレビか新聞しかない。
それよりも、雪が降るくらい寒い夜に、どうして自分は花道と一緒にいられないのかという事の方が流川には重要だった。
悲しくて寂しくて、心がざわざわする。窓に触れた手は冷たく、それを感じるとより一層花道に会いたくなってしまった。
そうだ、会いたい。花道自身に会えなくても、花道の気配を多く含んだあの部屋に戻りたい。
流川はベッドに放ったジャケットを着込むと、ゆっくりと部屋の戸を開いた。もうだめだった。一度恋しくなってしまえば歯止めは利かず、馬鹿みたいに身体が急いてしまう。
できるだけ静かにホテルのエントランスまで歩を進め、外に飛び出すともう、後はただひたすらに家路を辿った。


電車は遅延が重なり、路上は雪にまみれて歩行を困難にした。
黒のスラックスが水を吸って足首を冷やすのが煩わしい。傘を持たずに出てきたのはやっぱり失敗だったようで、流川の髪から肩までは既にぐっしょりと水分の多い雪に濡らされていた。
流川は舌打ちをして髪を掻き上げる。しかし馴染んだ彼の家の前まで来ると、最早それらはどこかへ吹き飛んでしまった。
目を見開いて立ち尽くす。どういうことだ、これは。
流川の視線の先、花道宅の玄関の前には何故かその家主がこちらをみて、流川同様立ち尽くしている。

「どあほう…なんでここ、」

流川の言葉は最後まで発せられずに花道の肩口に吸い込まれた。花道に抱きつかれたのだと気付いたのは、その肩が小さく震えて流川を暖めたからだ。
驚いて身を硬直させた流川は、けれど花道の容赦ない抱擁に反射で抱き返してしまう。暖かくて、日向の匂いがして、これは間違いなく花道の身体だった。
花道も同じ事を思ったのだろう。ぎゅうぎゅう締め付ける流川の腕に身を任せて、その頬を動物みたいにすり寄せて目を瞑っていた。
そうしてお互いを確かに確認しあってから漸く。流川は小さく花道に囁いた。

「合宿は?」
「…抜け出してきた」
「なんで」
「だってお前、」

そこで花道は顔を上げて流川を睨んだ。今更自分の行動が恥ずかしくなってきたのか、もう既に顔は真っ赤で目尻には涙まで浮かんでいる。

「朝出てったっきり、帰ってこねーし!学校かと思ったら違うみてーだし!携帯出ねーし!」
「…今日、法事行ってた」
「法事!?」
「そう。そんで、携帯家に忘れてて」
「言えよ!!そういう事は前持って!!」

花道は思い出したかのように激昂して流川の腕から逃れようと身じろぎをした。当然それを許す流川ではないので、流川は花道の腰を抱いて力強く拘束すると、身動きが取れないと観念したのか、花道は目線だけを逃して項垂れた。その耳が異様に赤い。

「…なんで何も言わずに行ったんだよ」

ぽつりと聞こえたその声が、まるで拗ねているように聞こえて流川は花道をみつめた。
実際花道は唇を突き出し、心なしか頬を膨らませている。どうみても拗ねている彼があまりにも真っ赤なので、流川は冷えた手でその頬を包んだ。

「熱い…」
「お、お前、人の話聞いてんのかよ!」
「だってどあほう、今日合宿って」
「そーだよ合宿だったよ!ゴリんち行ってたんだよ!」
「じゃーなんで帰ってきたんだよ」
「っお前が!何も言わずにどっかに行ってるから…っ、お前んち行ってもお手伝いさんもいねーし、意味わかんねーし、だから俺はっ、お前が昨日のことで怒ってんのかと、思って、だから、…俺のこと嫌に、なったのかとおも、っ」

もう限界―。思った時には流川は花道の唇を塞いでいた。
もがく彼の身体を抑えこんで全力でキスをする。翻弄する。雁字搦めにする。
だってこんなに嬉しいことってない。激昂してたはずの彼の口調が小さく、静かに沈んでいって。仕舞いには悲しみに涙声になるのなんて全部流川の事が好き過ぎるからだ。
ちょっと連絡が取れなかっただけでこの人はこんなに不安になっている。心配で思わず赤木の家から飛び出してしまうほどに、だ。
ああ、どうして何も言わずに行ってしまったのだろう。今更になって深く後悔した。こんなに悲しませてしまうなら、変な意地を張らずに言っていれば良かったのだ。
そこへきて流川は、どうやら自分が意地を張っていたらしいということに気がついた。
なんてことはない、花道が合宿に行ってしまうのが、流川と離れても平気にみえたのが、寂しかったのだと。

「ん、っう、…も、やめ」
「…、イヤダ」

きつく舌を吸って、噛んで、それからあますところなく口内を舐め回した。それでも足らなくて、流川は花道の真っ赤な耳たぶに指を滑らす。途端にびくりと身が竦んで花道の熱が上がるのがたまらない。
どうしようもない気持ちを他にどうしたらいいのかもわからないので、流川は花道の身体を引き寄せながら囁いた。曰く、シてもいいのかと。
花道は何も言わなかったが、流川の背に縋る指が更に深く喰い込んだのを察するに、それが答えなのだろう。流川は小さく微笑んで花道の頬に触れるだけの口づけをしたのだった。


セックスは始めから性急だった。
もっとたくさん触ったり舐めたり弄ったり、それこそ焦らしたり泣かせたりしたかったのに、そんな余裕は最早なかった。
急ぐ身体をどうにか抑えながら、花道の中に指をくぐらせる。うあ、と呻く花道の声に煽られて、それでもいきなり挿れてしまうのだけは堪えて指を動かした。
ローションの滑りを借りて指を増やす。奥まで通してそこで上に向かって指を曲げると、暖かい肉壁がきゅう、と締め付けてくる。

「る、かわ…、るかわ」
「なに、どあほう」
「も…いい、から」
「まだキツイ、もっとしないとだめ」
「って、あ…!それ、やだ!…っうあ」

指の先に触れる少し硬い部分。それを中指で擽ると、ぐちゅ、と濡れた音が耳をついた。
その音も感覚も、たまらないとばかりに花道が仰け反って、晒された喉元に流川は舌を這わせた。花道の味がする。我慢できない。
もう一刻もはやく、と下半身が悲鳴を上げて流川は花道を覗き込んだ。

「…聞くな、バカ」

何も言ってないのに、花道は流川の視線を正確に読み取って身体を赤く染めた。もうこれ以上ないというくらい赤いのに、まだまだその色は濃く色づいてゆくのだから、流川は感心さえしてしまう。
しかしそんな事を思ったのも束の間、本能に逆らえずに押し入った花道の中は、いつもの事ながら信じられないくらい気持ち良くて何も考えられなくなった。

「っ、あ、…く」
「…痛い?どあほう」

思わず最奥まで突いてしまって慌てて腰を引いたけれど、花道があまりに辛そうだったのでそのまま自身を引き抜いてやる。すると花道の手が流川の腕に縋ってきつく握られた。

「…たく、ねーから、っ」

そう言って花道は流川を呼んだ。酷く甘ったるい音で発音されたそれは、その音だけでいってしまいそうな響きで。
るかわ、ともう一度繰り返された途端、ひくひくと収縮を繰り返す入り口がまるで誘っているように流川を翻弄した。
もう、少しの間だって持てない。流川は文字通り飢えた動物みたいにそこへ性急に自身を挿入した。繋がった瞬間、花道が掠れた声を上げたけれど、流川はもう自身を引き抜く事はできなかった。
頭の中が真っ白になる。気持ちいい。暖かい。気持ちいい。気持ちいい。
自分勝手に花道を揺さぶって快感を追うのが嫌だった。けれど、花道は少しの抵抗もせずに流川の名前を繰り返してくれる。
流川も応えるように花道を呼んだ。呼んで、馬鹿みたいに突き上げてキスをした。

「るかわ、る…かっ、あっ」
「どあほ、…気持ち、いい、どあほう、」

足を抱えて角度を変えると、碌に触れてない花道の前が完全に勃ち上がっていった後みたいに蜜を零しているのが目についた。
中だけでいけるようになったのはいつからだっけ。流川は自分の腹で花道の前を擦り上げながら、花道の中にある前立腺を探った。
花道が高い声を上げる。ここだ。思った通りの場所を突いて、花道を喘がせてやろうと思ったけれど、それより先に自分がもちそうになかった。
ずくりと背を駆け上がっていく波に飲み込まれて、気付けば流川は本能のままに腰を振っていた。
もうだめ。気持ちいい。いきたい。どあほうの中にずっといたい。抜きたくない。
いくときに考えていられることなんてこんなもので、何かが爆ぜた後に我に返れば、流川は脱力して花道の身体に身を乗せていた。
全体重が乗っているのに気がついて流川は慌てて身を起こす。腹から胸にかけて白い液体が散っているのをみて、花道もいっていたことがわかった。

「どあほう…へーき?」
「…う、」
「どあほう?」
「うご、くな…」

腕を震わせながら流川の肩を引き寄せるので、流川は花道の顔の横に両手をついて彼を見下ろした。
とろとろに煮詰めたカラメルみたいな色をした瞳が流川を映して、まだ抜くな、と言う。

「も…すこし、このまま、いたい」

うっとりと見つめてくるそれがあまりに淫靡で、しかも流川を離したくないと訴えている。じっと見つめ返せば、花道は心底惚れ惚れするみたいに流川を見上げて、声もなく愛しいと伝えてきた。
…こんなの、無理だ。流川はまた急激に腹の下が疼くのを感じた。それを直に体内で感じた花道は、それこそ嬉しそうにバカ、と呟いて流川の髪を撫でる。

「俺だって、同じだ…流川」

何が、なんて聞いてる暇はなかった。流川は一度ぎゅっと花道を抱きしめてから、硬度を取り戻した自身で再び花道を揺さぶり始めた。






そういえば部屋の暖房を一切つけていなかったと気が付いた。
雪に冷えた流川の身体はいつの間にかほかほかと暖かかったし、むしろ熱いくらいだったのだから忘れていても不思議ではない。
眠りの淵にいる花道に布団をかけながら、流川は窓の外を思った。雪は、もう止んでいるらしい。
小さく身じろぎした音に花道は目を瞬かせ、何みてんだ、と視線で問うてきた。流川はなんでもないと言って花道をきつく腕に抱きこむ。

「どあほう、寒くねーの?」
「珍しく、お前が暖かいから、へーき」
「フーン」
「おう」
「…どあほう、」
「あ?」
「戻んなくていーの?」

抜け出してきたんだろ、と花道の額に口付ければ、律儀に頬を染めて花道は目を逸らした。
この反応が、ずっと、永遠に続けばいいのに、なんて思いながら流川は目を細めて花道をみつめる。

「もう無理。お前とした後は、暫らく無理…」

顔まで逸らして身体を熱くしてゆくのが嬉しくて、でも言っている意味がわからなくて流川は花道を覗き込んだ。
花道は、それこそ沸騰寸前にまで全部を赤くしてヤケクソのように口を開く。

「だから!した後、暫らくお前のことばっか考えちまうから無理だって言ってんだよこのバカ!」

だから昨日だめだって言ったのに、と続ける花道がもう、尋常じゃなく可愛くてどうしようもなくて流川はそのまま食べてしまいたいと思った。
リンゴのようなその頬にかぷりと口付けをして、喚く花道を黙らせるために今度は唇にキスをして。
そんなふわふわしたじゃれ合いをしながら眠りについた流川は、彼こそが幸せの源なのだと、深く強く、確信したのだった。

合宿を抜け出した花道の期末試験がどうなったかは、また別のお話―。










END

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