楽しい。嬉しい。気持ちいい。…愛しい。
この世のありとあらゆる幸せをかたちにしたら、それはきっと、この二つ年上の彼になるんだと思う。
今まさにその彼を抱きしめながら、流川は感慨深くため息を漏らした。
ストーブとコタツで暖められた小さな部屋の中、いちばん暖かいのが腕の中の彼…花道で嬉しくなる。
暖かい。本当に暖かい。暖かすぎて、熱いくらいだ。思わず緩む頬も、細められた目も、すべては腕の中に花道がいるせいだ。
衝動のままにぎゅっと抱きしめると、花道が身じろいだ。流川から見える項が異常に赤い。

「暑い!重い!どけ!」

そう言って彼は腕を動かすけれど、そう易々と解放する流川ではない。さらに両腕に力を入れて、ついでに剥き出しの赤い色に誘われるまま、項に口付ける。花道がびくりと大きく肩を揺らしたのが自分の身体にまで伝わって、それがなんだか嬉しくて流川はまたきつく抱きしめた。
早鐘を打つ心臓の音まで聞こえそうな距離を、ふたりで共有しているのがたまらない。嬉しい。

「おま、いい加減、はな…っ」
「キスしてくれたら離す」
「死ね!」

もう一段階色を濃くした花道の項が不意に流川の視界から消えた。次の瞬間映るのは項に負けないくらい真っ赤な顔だ。寄せられた眉間の皺も、吊り上げた目元も、あまりに赤いその肌のお陰で泣き出す寸前の子供のようにみえる。
ああ、今にも涙を零して喚きだしそう。花道の目尻に盛り上がる水の膜をみつめて流川は思った。
夏の猛暑のなか、花道と恋人になって四ヶ月。花道は事ある毎に「いい加減その抱きつき癖を直せ」と言ってくるが、流川に言わせればいい加減直した方がいいのはその赤面症だと思う。何しろ、以前より悪化しているのだ。
もともと感情表現のわかりやすかった花道だが、恋人になってからの彼はそれはもう盛大に、異常なくらい喜怒哀楽が激しくなった。
それは、四年間想い続けてた彼をようやく恋人にした流川の熱烈なスキンシップが増したのも原因のひとつだが、それ以上の何かが彼の身に起こっているようなのだ。
猫舌の花道が少しずつ熱い茶を啜る姿が可愛くてじっと見つめれば、妙に焦り出して茶を零す。いつも器用に手際よく料理をこなす指先が、流川の近付いた気配で狂う。こないだなんか、テーブルに突っ伏して寝ていた顔を上げた瞬間、目が合って上ずった声を上げられた。
そのどれもが、尋常じゃなく赤い顔をした花道だった。顔を歪め、奥歯を噛み締め、目元は危なげに潤む。そんな花道のことを、おかしいとは思うが愛しい気持ちは変わらないのだから、恋は盲目だ。
むしろ、少しのことで過剰反応する花道が嬉しい。だってそれは、自分限定でのみ起こる反応だから。

「…」
「…っ!」

抱きしめた腕の中、流川を睨みつける双眸をじっと眺めているとあからさまに視線を逸らされた。益々頬の紅潮が拡がる。
耳、首、鎖骨、今や手の甲まで、それは瞬く間に色を変えて流川を喜ばせた。

「どあほう、こっち向いて」
「…イヤダ」
「何で」
「何でも」
「…」
「…」
「も…いい加減、離」
「どあほう、」
「…んだよ」
「照れてる?」

にやける顔をそのままに、花道を覗きこんだのがいけなかった。流川はこれ以上ないくらい赤面した花道に頭突きを喰らわされてしまった。

「いてぇ…」
「ばっ、おま、あほ、じゃねっ…」

矢継ぎ早に言う花道が流川の腕から逃れて距離をとる。それこそ部屋の隅まで後退した彼が盛大にバカだのアホだの罵る姿は、まるで子供のそれだ。
幼くて可愛いと言えなくもなかったが、空っぽになった腕は妙に寂しい。憮然とした流川は花道を睨みつけてにじり寄った。

「逃げんな」
「逃げてねえ!」
「じゃーこっち来い」
「誰が行くか!…ちょ、寄ってくんな!」

近付く度に視線を彷徨わせて拒絶の言葉を吐くものだから、さすがに腹が立つ。せっかく今日は何もしないで抱きしめたまま眠ろうと思ったのに。
花道には言ってなかったけれど、流川は明日から法事のため二日間家を空けなければならなかった。
前日の今日まで言わずにきたのは行き先が隣の東京だったのと、大人数がその場に集結することからその気になったらいつでも一人で帰って来れると思ったからだ。
もちろん家族の目を盗んでの行動なのだが、流川の両親はもはや流川の行動パターンを把握している。今更流川が会場から消えたところで居場所は明確なのだ。落ち着いて花道に電話をかけ「うちのがまたお邪魔してると思うんだけど…本当にごめんなさいね」と謝る準備もきっとしているだろう。だから流川は挨拶のときだけ顔を出して早々に帰るつもりでいた。
花道に今日何もしないでいようと決めたのは、無断で法事を抜け出して家にお邪魔することへのせめてもの免罪符のようなものだった。…のだが。
こうも思いっきり逃げられると簡単に気持ちは変わる。
花道の意思を無視して事に及んでしまおうか。それとも、もう勘弁しろと言うまで何も言わずにただじっと見つめてやろうか。
今の花道なら、後者の方がより効果的に思えるが、前者も捨て難い。何より、流川自身が今ものすごく花道に触れたいと思っている。
考えあぐねて結果、暫し無言で動かずにいると、花道の動揺した空気が伝わってきた。
真っ赤だった顔が急激に白くなり、仕舞いには青くなる。目は忙しなく流川と部屋の中とを行き来し、握り締めた拳が小さく開いては結んでを繰り返す。その様は、どうしていいかわからないことを如実に物語っていた。
寄ってくんな、なんて言った癖に、寄ってこないと途端に心細い顔をするのはやめて欲しい。しかも、今更自分の言動を後悔して悲しくなるのもどうかと思う。
流川は花道の表情を都合良く読み取って、でもそれは、あながち間違いじゃないだろうと口を開いた。

「どあほう…」
「な、んだよ」

声をかけられて少しホッとしたのか、目線が流川に落ち着いた。それに確信を得て、流川は小さく微笑んだ。花道の頬に再びわかりやすく朱がさすのが面白くて、嬉しい。
実を言うと流川は、花道と恋人になったばかりの頃、ほんの少しだけ不安だった。
抱きつけば怒鳴られるし、キスをすれば頭を叩かれる。二度目のセックスに至るには、相当の努力と執念を必要としたものだ。
そんなことを幾度も繰り返すうち、自分ばかりが花道を好きなんじゃないかと疑問を抱くようになった。
花道は基本的に優しい。そして、向けられる好意にはとことん弱い。だから流川とこうしているのも、その性格故かと感じてしまうことも多くなかったのだ。
だけどいつからか。こうして花道が逃げたり叫んだり暴れたりするのは、流川を過剰に意識しているからだと気がついた。その根本には流川が好きだからだという理由が確かに存在している。そう思えば花道の異常な暴れ方も赤面症も、照れなんだと受け入れられるのだ。
流川がちょっと笑っただけでそんなになってたら、本当にこの先、花道の身体は沸騰して蒸発してしまうんじゃないかと思う。いっそしてしまえ、と流川は素早く花道を捕まえにかかった。

「お、わっ!」

見事なタイミングで花道を捕まえれば、壁と流川に挟まれた彼は見事に赤くなった。体温の高い身体を慈しむように抱きしめる。花道は、もう逃げる気力はないようだったが、盛大な羞恥心からか四肢をじたばたと動かした。
本当は、嬉しいくせに。そう思えば止まらなかった。
流川は落ち着きのない花道の顎を捕らえ、その唇が何か言うよりも先に唇を塞いだ。
笑えるくらい過剰に肩が跳ね上がる。呼吸が止まる。もう何度もしていることなのに、毎回こうも反応してもらえるのだから流川は楽しくて仕方がない。

「シていい?」
「っ!」
「今からスル」
「ちょ、ま、っ!ま、待て待て待て!」

今や火でも出そうなほどに赤い首筋を流川は露骨に舐め上げた。瞬間、ひっ、と高い声が上がる。これも、毎度のことだが飽きもせず過剰反応だ。
けれども何だかんだいって結局は拒否しない花道を知っている流川は、構わずに背中からシャツの裾に指先を忍ばせた。

「っルカワ!今日はほんとにだめだ!」

ぐい、と力任せに肩を突っぱねられてようやく我に返った。花道の様子がいつもと違う。
呆気にとられて花道を見つめる流川に、当の花道は素早く衣服を整えると「言ってなかったけどよ、」と視線を彷徨わせた。

「明日っからゴリんちで合宿があんだよ」
「…合宿?」
「そう、……まぁ、アレだ。天才の選抜出場がかかった大事な合宿だからな」
「…」
「出ないわけにはいかねーしよ」

そう言って鼻を鳴らす花道が、頑なに流川から目を逸らすので流川は怪しんだ。

「なんでゴ…赤木さんちなんだよ」
「そっ、それはアレだ、えーと、ソレだ!」
「わかんねー」
「だからっ、オレだけじゃなくて、ミッチーもリョーちんもアレなんだよ!アレだから、だめなんだって!」

ミッチーとリョーちん。そのふたつの名前には共通点があった。花道と同じバスケ部でスタメンで…花道と同じくあまり頭がよろしくない。…らしい。
そこまで考えて、流川はピンときた。

「期末試験のためか」
「ぬっ…」

図星をつかれた顔をして花道が詰る。わかりやすいにもほどがあるんじゃないだろうか。しかし、だからといってわかりましたと身を引く流川ではない。
そもそも何故、合宿前日に事に及んではいけないのか。それが流川には検討がつかなかった。

「なんでしちゃいけねーんだ」
「そ、れは…」
「勉強すんなら別に身体は使わねーだろ」
「そーだ、けど」

ごにょごにょとその先を続けられない花道は珍しい。言い難い事でも花道は流川にはわかりやすく言葉や行動で意思を表してきたから尚更だ。
訝しんで見つめると、赤かった肌がまた熱を上げたようにみえる。それが益々わからなくて流川は花道に詰め寄った。一抹の不安が過ぎる。

「浮気…」
「なわけねーだろ!」

アホか!と額を叩かれて安堵する反面、疑問はまた濃くなった。花道がここまで言い淀む理由が本当にわからない。それも、こんなに真っ赤になって唇を噛むのは、流川を異常に意識しているあまりなのに。なんだかみていて歯痒くなってきた。

「とにかく!う、うわき、とかじゃねーから、そうじゃなくて…、とにかく今日はだめだ!」

そこまで言うと花道は流川の後ろ首を引っ掴み、なんということか、自分から抱きしめてきた。
突然の抱擁に、しかし抗う理由もなく流川は花道に抱きつかれたまま「も…いいから寝るぞ」という彼の声を聞いた。
普段、セックスの時以外で花道からこういった行動をすることはない。だからかもしれない。流川はその日、本当に珍しく何もせず、花道を抱きしめたまま眠ってしまったのだった。


翌日。快晴。12月の空気を身体に受けながら、流川はひとり東京に発った。
花道に何も言わずに来てしまったことを少し後悔したが、彼は今日赤木の家だと言うし、その気になればいつでも帰れるしで気がつけば結局無言のまま家を出てしまっていた。
そのことに気を取られたせいだろう。流川が携帯を忘れたと気付いたのは、電車に乗って20分が過ぎた頃だった。
戻ろうか、とも思ったが、どうせすぐに帰るのだ。この道のりを引き返すのも面倒だと思い、流川はそのまま目的地へと向かった。

「楓!元気にしてた?」

辿り着いた会場で、流川の母は相変わらず目立っていた。法事ということもあり、黒でまとめた服装をしているが、それが余計に彼女の美しさを惹きたてている。
隣に並ぶ父も、やはり彼女の夫であった。流川似の長身に高い腰の位置。鼻梁の通った顔つきは歳をとる毎に益々涼しげになっていくようだ。
海外勤務中の両親と会うのも、実に四ヶ月ぶりである。流川は少し気恥ずかしい気持ちで母に向かって小さく頷き、それから眠い、と呟いた。
両親は相変わらずの息子の様子に苦笑を漏らし、それから会場へと促していった。

「あら、楓くん?大きくなったわね」
「ほんと、お父さんに似てまた一段と凛々しくなっちゃって」

親族と会うと開口一番に必ず言われるのがこれらだ。それに対して流川は曖昧に頷くことしかできない。子供にとって、親に似てきたと言われるのはある種複雑なものなのだ。
別に、両親を嫌っているわけではない。けれど、どうやったって両親に似てきてしまうのが、一人の個としての存在を否定されているようで無意味に反発したくなる。
しかし流川は思っても口にはしない。無駄な会話は極力したくなかったし、それより何より、もう既に帰りたくなっていた。
帰って、あの小さな部屋で、誰よりも大事なひとを抱きしめたい。
親族が集まり、いよいよ会場を移動するところまでくると、流川は本格的にどうやって抜け出そうかと考えていた。

外気の冷たさが窓に散らばる水滴で語られる。ふと気がついたときには、部屋は妙に明るく賑やかになっていた。
そこでようやく覚醒した。流川はうっかり寝てしまっていたのだ。呆然として時計に目をやると、針は午後7時を指していて窓の外はすっかり暗い。どうやら抜け出すタイミングを誤ったのは間違いないようだ。
どうしようか、と流川が思案していると母が笑いながら近付いてきた。

「楓ったら、また寝ていたでしょう。もう、仕様がない子ね」
「…もー終わり?」
「ええ、あなたがすっかり眠っている間にね」
「じゃーもう帰」
「この後はお食事をして、今夜は近くにホテルをとってあるから楓もそこに泊まるのよ」

久しぶりに家族三人水入らずでお話しましょう、と言う母の笑顔があまりに嬉しそうで流川は押し黙ってしまった。
正直なところ、早く帰って花道の匂いのする布団で眠りたかった。けれど、花道の匂いがしても花道本人は不在だということを思いだすと急激に気持ちが沈む。
今日帰ってもしょうがない気がして、流川は母に頷いたのだった。






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